2012年1月31日火曜日

大隅鹿屋病院  訪問看護事業所ブログ⑥

訪問看護に携わり一番心に残った事、それは家で”看取る”という事
  訪問看護

                                                      大隅鹿屋病院 訪問看護事業所
                                                                   訪問看護師 西迫 真美

こんにちは。早いもので年が明けて1ヶ月が経ちました。
皆さん、年末・年始といかが過ごされましたか?
去年の12月は、私が訪問看護に配属されてから3年のうちで最も忙しい年となりました。


‘お正月までには退院したい‘      image
‘お正月だけでも家で過ごしたい‘など

家で過ごしたいけれど、自分達だけで生活するには病気や薬・
医療処置・介護に対して不安や心配が残る。
そのような患者さん・家族が年々増えているからです。

普段生活している時には気付きませんが、私たちもちょっと旅行
に行ったり、遠出をしたときには家に帰るとほっとしますよね?
誰しも居心地の良い空間・場所というものがあるはずです。
皆さんはどこで生活し、人生の最期を迎えたいと思いますか?
今回は、そんな人生や最期の話をしたいと思います。

私が訪問看護に携わり一番心に残っていることは、家で看取る”ということです。
最初は”看取る”という意味すらよく解かりませんでした。

しかし、住み慣れた家で家族に囲まれ、家族が死を惜しみながら最期まで声をかけ、静かに息を引き取る光景の一部始終を目のあたりにした時、
私は感動して家族と一緒に涙を流してしまいました。

中学生の時、私の祖母は暗く殺風景な病室で、一人ポツンと遺体になって小さなベッドに横たわっていました。
それが私が最初に経験した”死”です。
何が起きたか分からず、怖くて祖母に近づき声をかけることすら出来ませんでした。

そのような死しか知らなかった私は、こんなにも温かく見守られながら、安らかに眠る死があるということに余計に感動し、人の死が”キレイだ”と思えたのだと思います。

その後も幾度となく家で息を引き取る光景を目のあたりにしてきましたが、人の死から学ぶことはとても多いです。
死を持って人の生き様を学び、死があるからこそ命が尊いものだと思え、自分の人生を見つめなおす機会となります。
死を持って自分はどのように生き、死にたいかを考える機会となります。
人の死は、残された人にとってとても意味ある時間を残してくれます。

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     写真は私の実家(錦江町) 居心地が一番良く、心休まる場所です。

昔は家で人が亡くなることは当たり前でしたが、高度医療が発達するにつれて延命がすることが最善であるという風潮が流れ、死というものを忌み嫌うようになり、死を話題にすることがタブー視され、病院で亡くなることが多くなってしまいました。
しかし、最近は不必要な延命や”生かされている”という言葉をよく聞くようになりました。
入院して治療をすることが必ずしも良いこととは限りません。
入院させずに家で看ることが悪いことでもありません。
ただ、延命するのも治療をせずに家で過ごすのも、本人や家族の希望次第です。

人は必ず遅かれ早かれ死が訪れます。
それが明日なのか、数年後かは誰にも分かりません。
そうなった場合に、自分がどこまで治療を望むのか、最期どのように死を迎えたいのかを、普段から考えてほしいと思います。

もし、家族を家で看取りたいと思う方がいれば、その時は全力でお手伝いさせて頂きたいと思いますので、是非、医師や訪問看護師へ声をかけて下さいね。

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