2013年7月10日水曜日

訪問看護ステーション「花みずき」ブログ⑳

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                                    訪問看護ステーション
                                                  「花みずき」
                          訪問看護師  樋脇 真由美



*昔は、病院の近くの川にもよくしらさぎを見かけたものですが、最近ではぱったりと見かけなくなりました。田んぼの害虫を食べてくれているようです。
面白いのが、しらさぎがをよく見かける田んぼは毎回決まって同じなんです。なぜでしょう・・・。

              {写真はクリックすると、拡大します}

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私たちが行く訪問先では原疾患に加え認知症も患っている高齢者も多いです。

認知症の周辺症状が入院中に悪化して、退院を選択せざるをえなかったり、管を抜いてしまったり危険なので治療自体が出来なかったり、はたもやご自身が家に帰りたくて離院されてしまったりというケースがあります。

ご家族としては、何とかして治療を受けてもらいたい、少しでも長生きしてほしい、でもそこまでして家に帰りたいと願う本人を見るのは辛い・・・何が一番良い方法なのだろうかと葛藤し悩まれます。本人やご家族が家に帰るという選択をした場合、医療機関や自宅との懸け橋となって訪問看護が導入されることがあります。
認知症の方と接していると、その方が何を大事にまたは一生懸命生きてこられたか垣間見ることができます。
またその方がもともと持っている性格の素質というのは、失われていないような気がします。
よく認知症になって人が変わった{いい意味も含めて}と言うご家族がいますが、理性が働いているときはそれが抑制されていただけなのかもしれません。

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これは90歳の寝たきりの認知症の利用者さんと接した時の会話で、わたしが面白く感心し、そして反省したエピソードです。

本人は運転免許証を切り替えにいかなくてはと訴えて、自分を30歳だと思っています。
本人「運転免許証を切り替えに行かんなならん。」
「切り替えは来年だそうなので、今度でいいと警察の人が言っていましたよ。」
本人)「そうな。来年な。いつからそうなったとな。」しばらくやり取りをします。
車に乗りたいのかなと思った私は、ベッドに座らせました。そしてそこら変にあった適当な大きさの紙を渡して私)免許証ですよ。よかったですね。」と手渡すと、
本人「うん。」とうなづきしばらく落ち着きましたが、はっと顔を上に上げて本人「これは免許証じゃね。明かりをつけないと。」と、どうやらその免許証の替わりを懐中電灯か何かと間違えたようです・・・。すかさず私が「(介入時は目が見えていないようで暗いとおっしゃっていたので)今、夜なので危ないので明日明るくなってから乗ってくださいと警察の人が言っていましたよ。」というとしばらく間をおいて「明るくなってから電気がいるか。バカが。」と怒られました。
私は思わず吹き出してしまいました。その人を気持ちよく納得させようとあの手この手で考えたのですが、分かるところはちゃんと分かるのです。
分からないだろうからとトンチを効かせたつもりが、その方のほうが一枚上手でしたね。反省しきり
でした。認知症看護は大変な部分もありますが、関わると感動することが多々あります。

認知症の方は自分の心に素直です。嫌だと思ったら全力で拒否します。
唾をかけられたことや、つねられたことも、足で蹴られそうになったこともあります。が動けないその方の全力での抵抗なんですね。
ご家族の方は申し訳ないと何度も謝られますが、認知症のひどい方は反応すら返ってこない方もおられて、どのような反応であれ、その方のその気持ちを大事にしてあげたいと思うのです。(もちろんつままれたりすると痛いのですが(>_<)….)

その利用者さんは、行くたびに30歳になってみたり、60歳になってみたり90歳にもどってみたりころころ変わります。ある時ご家族の方に「○○{妻}は、何歳よ。」と尋ねられたそうです。
87歳と答えたところ「なんよ!87か。そしたらおいは何歳よ。」「じいちゃんな90だよ。」と答えるとおいおい泣き始めたそうです。
自分が30歳だと思っていて、突然90歳だといわれたら「皆して自分をだましているんだろう」とか、でも思い当たる節があると「本当だろうか」と訳の分からない状況に置かれると非常に怖いと思うのですが、認知症の方は突然そういう状況になってしまうんですね。
なので、認知症の方が安心して生活できる環境や関わりが大事です。

そしてまた別のエピソードですが、ある時は訪問すると泣いておられました。
本当に悲しそうに泣いているのです。思わず「何がそんなに悲しいのですか?」と尋ねると「分からないけど、悲しい・・。」と見ていると私まで悲しくなり、手を伸ばされたので二人抱き合って、少しもらい泣きしてしまいました。
泣いている理由は分かりませんでしたが「お母さん」と言っていたので自分のお母さんを思い出していたのでしょうか。90歳のおじいちゃんにも、お父さん、お母さんと呼べる方がいるのです。自分の祖父母をみていると、自分の小さいころから「じいちゃん、ばあちゃん」のような気もしますが、皆誰しも誰かの子供だった時代があるんですよね。
小さいころに甘えるという行為や感情はいくつになっても影響があるんですね。

こうして90歳の利用者さんから色々なことを学びました。
老いは皆平等にやってきます。老いれば自分も認知症になるかもしれません。
今日私の祖父が同じことを2回きいてきました。内容も前回と同じ内容でした。1年前には飲めていた薬が、何べんも確かめないと飲んだかどうか覚えていませんでした。
でも自分で薬の箱を見て薬の殻も見て一人ごとを言いながら何回も確かめていました。
我が祖父ながら感心した次第です。私が祖父ぐらいの年になったらどうでしょうか。自分で薬をのめているでしょうか。
先のことは誰にもわかりませんし、老いは経験しようと思ってもできないことです。
なので、現在経験している先人から学んで生かすことって大事だなぁと思うのです。
老いても楽しく笑いながら自分らしく生きれるような社会・・・素晴らしいですね。
皆そのような生活ができるように、自分の身近な方や利用者さんからを今日も支援していきたいと思う今日この頃です。

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左は、
80代の利用者さんの家のある古井戸です。年齢と共に歴史を感じますね。
昔はこの井戸で、のどの渇きを潤したんでしょうね。

右は90代の利用者さんの家の近くの川にいる「山太郎かにの子供?です。」
山から流れてくる川なので、きれいです
「いまだいっども食べたこちゃね。」と言われていました。