2018年6月26日火曜日

第8回 ナラティブ報告会(5階西病棟編)

今回5階西病棟循環器内科に所属するH29年4月に入職した3名が、この1年間で心に1番残った患者様や、ご家族との関わりについて報告致します。

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                              5階西病棟 循環器内科

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5階西病棟
新人看護師  立和田 優那
             急変時の対応を通して
 入職して約1年が経ち、多くの学びや経験をさせて頂いた。そんな中で、入職して9ヶ月が経った頃の忘れられない経験がある。
 その患者様は80歳代、女性のA氏。慢性心不全に対し強心薬や心不全治療薬の持続点滴中であった。その日、私はその患者様の受け持ちではなかったが、朝の申し送り後ナースコールがあり私が対応した。訪室するといつもと変わらない様子で話しかけてきたが内容は覚えていない。その位たわいもない会話をしたことは覚えている。
 休憩が終わり自分の受け持ち患者様の自己管理内服のチェックに回っていた時であった。
先輩看護師の「〇〇さんちょっと来て」という大きな声と共に病棟が慌ただしくなった。
私も何かあったのだと思い、人が集まっている方へ走って向かった。そこは朝ナースコール対応をしたA氏のいる4人(部屋であった。A氏はポータブルトイレに座った姿勢から前かがみに落ちた状態になったおり、病室の床には便失禁が多量に見られた。私は「朝、普通に話していたのに・・・」と頭が真っ白になりどうしていいかわからなかった。数人で患者様をベッドに戻し、先輩が意識、頸動脈触知の有無の確認を行い、心臓マッサージを開始したところをただただ見ていた。先輩看護師の「誰かアンビュー!」という声に我に返り、私がそのアンビューを手に取った。
アンビューの使い方さえもよくわからなかった私に、心臓マッサージをしながら指示を出して下さる先輩の言葉に「はい。」「はい。」と返事をし、必死にアンビューを押して呼吸管理を行った。
 主治医が駆けつけ気管内挿管し、心臓マッサージを行いながら個室へ移動して人工呼吸器を装着した。しかし、モニター波形はVF波形のままであり心臓マッサージは続けられた。
先輩から私も心臓マッサージを交代するように言われ、初めて患者様に心臓マッサージをした。
BLS講習はすでに受講しており人形では何回も練習していたが、その時とはまた違った感覚でありなんとも言えない気持ちになった。その後、患者様の状態が改善することはなくそのまま亡くなった。後にその日のA氏の受け持ちであった先輩に話を聞くとA氏は「なかなか便が出にくいのよね。」と言っていたそうだ。ポータブルトイレに移り、力んだ際に起きた事だったと振り返った。いつ、どんなことで急変するかわからないのだと思い少し怖くなったとともに、日頃の患者様の観察や日頃との違いに気付く事、又、訴えの傾聴などが大切なのだと学んだ。
 A氏の急変を経験した後にもこの1年で多くの急変を経験した。やはり急変時は怖くなるし、何をすればよいか迷いあたふたしてしまうのが自分でもわかる。しかし、その場を見渡し自分にも何か出来る事はないかと考える余裕は以前に比べ、少しだけ出来た気がする。
 今回の経験を無駄にせず、私にはまだまだ足りない急変時に必要な冷静な判断や対応力、技術を身につけていきたい。又、患者様やご家族の気持ちに寄り添うことも忘れずに看護を提供していこうと思う。

実地指導者 福満 寿子
           1年間の関わりを通して
 1年間、お疲れ様でした。立和田さんと初めて病棟であった時、キラキラした笑顔で「立和田です。お願いします。」と挨拶に来たことを昨日の様に思い出します。
1年間、本当に多くの事がありましたね。何度も心が折れそうになりながらも一生懸命頑張る姿は、私の励みにもなりました。今回の事例は私にも印象的な方でした。初めての急変で戸惑い、何をするべきか分からず、先輩の指示を待っているという事もあったかと思います。
しかし、急変がある時は救急カートを持ってきたり、先輩の動きを見るなど、1つでも多くの事を学ぼうとする気持ちはあったのではないかと思います。最近、受け持ちの急変があった際、「立和田さんがすごく動けていた。」「挿管の介助も出来ていた」と病棟の先輩より聞きました。
不安な中でも、1つでも学ぼうとする事で大きく成長出来たのではないかと思います。
2年目に入り、後輩も出来、夜勤も始まっていき不安もまだまだあるとは思いますが、1年目での学びを生かして、共に成長していきましょう。

病棟主任 福永 理恵子
          んで取り組むこと
 大きなカバンを背負って出勤するのは今も変わることはありません。
不慣れな一人暮らしを初めて、不安なことも多かったでしょう。
いつもニコニコして「大丈夫です。」と答えてくれます。
 1年前、病棟に配属になった初日、病棟の説明をしている時に詰め所前の患者様の急変でACLSを目の当たりにしたことがありました。1日目から刺激が強すぎたか・・・と私も反省しました。
それから9ヶ月後、突然患者様の急変で何も出来なかったと振り返り、病棟で行っているシミュレーション研修に参加し、アンビューバックの押し方、心臓マッサージの方法など、対応の仕方を少しずつ学びその成果が発揮出来るようになりました。
1年経った今では急変の時は救急カートを押し、自分から出来ることを探して急変時の対応が出来るようになってきています。何も出来ず指示を待っていただけのあなたは、少しずつですが自分から出来ることを探し、行動しようと変わってきています。少しの気付きや傾聴が大切な事を学ぶ事が出来ました。患者様のちょっとした変化に気付けるように、日頃の何気ない会話からでも引き出せるようになるといいですね。先輩達の良い所を吸収しながら、成長していって下さい。
2年生になっても笑顔を忘れず、自分が成長出来る看護が提供出来るように頑張りましょう。
 これからも応援します。

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5階西病棟
新人看護師 峯山 智江
            「こころざし(ナースへの道)
 A氏90歳代女性、慢性心不全にて入院中であった。A氏が入院してから2週間ほど経った頃、心不全の憎悪から呼吸状態が悪くなりナースステーションの目の前の部屋に移ってきた。
状態が日に日に悪くなるA氏を初めて受け持つことになった日の事である。朝のバイタル測定時からSPO2=80%、頻呼吸状態であり苦痛な表情を浮かべていた。酸素4Lカヌラ装着中であったが、SPO2の上りが悪く酸素10Lリザーバーマスクまで増量した。A氏は、苦しいながらも「〇〇ちゃんに電話をしたい。」と酸素マスクの中から必死に訴えてきた。苦しいはずなのにこんな状態でも電話を掛けたがっていた相手は、妹さんであった。妹さんはA氏の家の近くに住んでおり入院時から付添い、ほとんど毎日のように面会に訪れていた。
 電話を受けた妹さんはすぐに病院に駆けつけてくれた。妹さんはA氏が訴えることに対しどうしたらいいだろうと私に何度も相談してきた。私は受け持ち患者様のやらなければならない業務が残っており対応が疎かになっていたことは自分でも気づいていた。「ごめんね。忙しいのに何度も呼び止めて。」と妹さんが言われた。苦しむA氏に何も出来ず時間だけが過ぎて行った。
その日の業務終わり頃、記録を入力していた私に先輩看護師がA氏のSPO2が60%まで低下している事を伝えにき、一緒にA氏の病室に向かった。そこにはぐったりしたA氏の姿があった。すぐにリーダーから医師に報告しそのままNPPV装着となった。その後少しずつSPO2も上昇し、心の中でほっとする反面、記録に集中し患者様を気にかけていなかった事、自分の事しか考えられず行動していた事に、とても申し訳ない気持ちになった。その後も何度かA氏を受け持った。SPO2の値がいい時は酸素リザーバーマスクで過ごせる日もあった。しかし全身痛も出現し状態はあまり良くなかった。日々関わる中で、あの日の申し訳ないと感じているままではいけないと思い、A氏の訴えを尊重し看護を行った。手先が冷え疼痛のあるA氏に対し手浴を行った。
表情は苦しそうながらも「気持ちいい。ありがとう。」と言われた。その日は妹さんも来られており「ありがとう。」と言い「良かったね、気持ち良かったね。」とA氏に声を掛けていた。
 この時初めてありがとうとA氏と妹さんから言われた言葉は、今でも心に強く残っている。
その後もA氏の状態が良くなる事はなく家族に見守られながら息を引き取った。
その日A氏のエンゼルケアに入らせて頂いた。目を開けない、言葉を話さないA氏を目の前に今まで関わってきたことを思い出すと涙が溢れてきそうになった。A氏と出会い患者様に接する時の気持ちが変わったことは私にとても大きな成長となった。日々多くの患者様と関わる私達、看護師であるが一人一人の患者様に心から関わり、気持ちに寄り添い、相手の事を大切に思う事が看護であると考える。
 又、看護は家族にも提供されるものであり、私達にとっては大勢いる患者様の中の一人であっても家族にとってはかけがえのない大切な家族の一人である。
相手を大切に思い接していこうという気持ちや、この1年間で学んだ多くの思いを忘れずこれからも看護師として頑張っていきたい。

実地指導者 有村 梨奈
            「共に過ごした1年間
 1年間、お疲れ様でした。入職時から色々と質問してきてくれたり、分からない時は一緒に調べて考えたり、私自身も学ぶ事が多くありました。今回の事例は、私も印象に残っている患者様でした。
私も新人の頃、分からない事や覚える事も多く、自分の事で精一杯になっていた事を思い出します。この事例を読みながら、峯山さんが最初の日の関わりについて振り返り悩みながらも、その時患者様に出来る看護をしたのだなと感じました。「ありがとう。」峯山さんの思いが患者様や妹さんに伝わったからこそ頂けた言葉だと思います。
 入院が長くなるにつれ、身体的にだけでなく精神的なストレスも大きくなってくると思います。
今回の事例を通して患者様、ご家族を含めた看護について学ぶ事が出来ました。
この気持ちを忘れずにこれからも多くの患者様やご家族様と関わっていってほしいです。
社会人、看護師としての1年間、本当に大変だったと思います。実地指導者として初めて指導する立場になり、峯山さんには沢山迷惑をかけたと思います。
 こんな未熟な私でしたが頼ってきてくれてありがとうございました。嬉しかったです。
今年から2年目になりますが、悩んだり分からない時にはいつでも声をかけて下さい。
これからも一緒に頑張って行きましょう。

病棟主任 福永 理恵子
          患者様とご家族とのつながり
 入職してきた時、緊張しすぎて顔がこわばったあなたをどれだけ見た事か。
少しずつ病棟に慣れて、笑顔が見えるようになりました。
 循環器内科に入院される患者様は心房細動で入院されても、長期になると色々な疾患を併発する事も少なくありません。心不全の憎悪で呼吸管理のためにNPPVの装着を余儀なくされる事もあります。看護師にとって患者様やご家族との良好な人間関係は、質の高い看護の提供に不可欠だと言われていますが、新人の頃は余裕のなさや緊張から患者様の反応に十分な配慮が出来ず、自分の業務を優先させてしまいがちです。患者様の訴えとご家族の思いに対応出来なかった事に気づき、とても心が痛かったでしょう。患者様を尊重する事を学ぶ事が出来たのは患者様が気づかせてくれたからです。最後のケアが出来た事は、きっとあなたに看てほしかったのでしょう。涙が流れてもいいのです。1年経った今は、色々な事を並行して出来るようになってきました。多くの事を学び成長しました。
 困った時は一人で悩まず、先輩達に相談してより良い方法を見つけて下さい。
そして、患者様の思いに寄り添える看護が出来るように頑張りましょう。

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新人看護師 吉永 海
            寄り添う事
 入職して3ヶ月たった頃、僕はある一人の患者様と出会った。
A氏、90歳代、女性、慢性心不全の既往があり、A氏は心臓カテーテル検査をするために入院となった。A氏は心臓カテーテル検査を無事に終了したが、貧血傾向で輸血を施行した。
A氏は認知機能の低下があり、心電図モニターを外してはきれいにコードを束ねてベッド柵にくくりつけ、酸素カヌラを頻回に外したりする行為があった。A氏は寂しがり屋で輸血をしている時も「どこにいくの。」「もういくの。」という声が聞かれた。その日、A氏は僕の名前を覚えてくれた。
「海君、海君。」と呼んでくれたのがすごく嬉しかったのを良く覚えている。
A氏はその後、状態が安定し他の病棟にトランスとなった。
 その後、半年ほど経った頃、A氏は再び入院してきた。BNP3000代、慢性心不全の急性憎悪であった。僕はさすがにもう覚えていないだろうと思ったが、A氏に「僕の事を覚えていますか?。」と尋ねるとA氏は「海君。」と言ってくれた。A氏は入院後、心不全治療薬、強心薬の持続点滴が開始となった。A氏は依然と変わらない様子であり安心していた。ある日、A氏は急に意識レベルが低下し、声掛けに反応なくJCS Ⅲー200であった。僕はそれから毎日、仕事の終わりにA氏の元へ行くようになった。何をするわけでもなくただA氏に声を掛けたり、手を握ったりした。その2日後、朝出勤すると夜勤の先輩看護師から、A氏が起きていると聞いて僕はすぐに会いに行った。
するとA氏は依然と変わらない様子に戻っていた。A氏は僕が朝会いに行くと「あら、海君ね。来てくれたの。」と言われた。僕は毎日欠かさず仕事終わりにA氏に会いに行くという日課が出来た。
A氏の食事介助をしたり、話したりする事しか出来なかったが少しでもA氏が元気になってくれればと思っていた。その後もA氏は1日起きては何日か眠って反応がないという日々を過ごしていた。
 点滴を流量しても肺うっ血、BNPの改善はなくA氏は日に日に体力が低下していった。
以前なら心電図モニターや酸素を外したりする行為があったが、その行為も見られなくなっていた。それでもA氏は僕の事を待っていてくれて、ナースコールで「海君を呼んで。」、先輩からは「お前の事をずっと呼んでいたぞ。」と聞いた。
 ある日、久しぶりに僕はA氏の受け持ちになった。A氏は何日も前から昏睡状態であったがその日は朝から起きており、いつも以上のハイテンションであった。僕はその日、A氏と一日中話をしていた。帰り際も「帰らないで。」というA氏に対し「また明後日来るからね。」と告げて僕は帰宅した。
僕とA氏が話したのはそれが最後であった。先輩から「A氏はお前に元気な顔を見て欲しかったんだよ。お前の悲しむ顔が見たくなかったんだろうね。」と言われた。
 僕はA氏の関わりを通して業務をこなす事も大事だが、患者様に触れ、目で見て、言葉をかけ、心を持って寄り添う看護を行う事が大事だという事を学んだ。
僕は、A氏との関わりを一生忘れる事はない。

実地指導者 片野坂 健太
            「1年前を思い返すと! 
                 日々、成長してくれてありがとう

 初めての一人暮らし、初めての土地でほんと苦労をしたと思います。
病院で会うととても緊張して焦って、走り回っている姿を今でも覚えています。
ですが今ではとても安心して仕事風景を見てられるし、細い華奢な体が少しだけ頼りがいのある後姿に見えるようになりました。入職した時は先輩方と話す事も緊張していたけど、今では自分の意見も交えながら相談など出来るようになっていて、良く飲む男の看護師ととても喜びながら酒を酌み交わしています。今の吉永君にまだまだ頑張れると声を掛けると少し空回りしそうなので、これからはこれまで以上に一緒に協力して働いていこう。そしてこれからも僕たちとお酒を酌み交わしていこう。吉永君の好きなラーメンも食べ歩きましょうね。
 お互い野球部だから、キャッチボールもしようね。
これからも自分も含め、福元さん、上村さん、カマキリさん共々宜しくお願いします。

病棟主任 福永 理恵子
          親しまれながら
 「今年の新人で一番人気だからお願いね。」と言われて、紹介されました。
5西病棟の男性看護師3人で、責任を持って育てるように伝えました。振り返りレポートも最初は1日遅れで提出していて、一生懸命調べて書いてきているのは良くわかりました。誘われても断ることなく付いて行って、お酒も覚えたと思います。みんなで焼き肉を食べて時、「僕、久しぶりに肉を食べました。」と喜んでいた時は、一人暮らしの自炊は大変だなとつくづく思いました。
 病棟でも明るく患者様に接してくれていますが、患者様もきっとあなたの事を、孫の様に思ってくれている方も多いのではないかと思います。患者様に頼りにされる、あなたがいてくれて良かった・・・と感謝の言葉を頂くと、いつも患者様の思いに寄り添い、時にはそっと手を添える看護が出来ていたのだと感じます。1年が過ぎ、出来る事も増えてきました。
 海君がいてくれて良かったとこれからも言って頂ける事も多くあると思います。
ステップアップしながら今の優しさと笑顔を忘れずに、病棟の一人として頑張っていきましょう。

                次回は6階西病棟外科:呼吸器外科:口腔外科:消化器外科に所属する
                               4名のナラティブ報告を紹介します。
                                                    お楽しみに!!!

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