2011年5月27日金曜日

3・11東日本大震災 医療支援活動に参加して

 看護部 150   30-01
   大隅鹿屋病院                 徳洲会東京T-MAT本部に集合し、深夜11時被災地へ出発
       看護師(5階西病棟)
                    北野 博文

  昨年11月に名古屋から地元の鹿児島に戻り、大隅鹿屋病院に勤務しています。
当院で初めて、T-MAT(徳洲会医療救援隊)の存在を知りましたが、自分がその一員として活動するとは思いもしませんでした。
当院第1陣の活動報告を受けたときに、「自分にも何か出来ないだろうか。どんなことでもいい。」
という衝動に駆られ、災害支援スタッフの募集に手を上げました。
 4月7日深夜に東京を出発して間もなく、現地は最大級ともいわれる余震に見舞われました。
翌日到着した気仙沼市立本吉病院では、外来患者さんが昼夜を問わず、すがるように来院し診療や処方を求めてきます。前日の余震の影響がかなり大きく、精神的にも体力的にも住民の皆さんは憔悴しきっていました。
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 到着した気仙沼市立本吉病院の1階は、津波浸水被害にて受付、外来診察室、検査室 等 すべて使用不能、2階の病棟にて外来診療 、投薬をしました。

そんな中で、私が心がけたのは笑顔です。このようなときにどんな言葉をかけていいのか、自分にはまったくわからなかったからです。そして、「病院はきっと安全」、「病院は助けてくれる」願いにも通じる、患者さんの心情が痛いほど感じられたからでもあります。
「昨晩は怖かったよ」、「慌てて家の中で転んじゃって」、「眠れないの」、「怖くて息子とずっと抱き合って夜を明かしました」といった皆さんのお話に、ひたすら耳を傾けました。
「言葉はうまく交わせなくても、笑顔はきっと伝わる」と信じて活動にあたりました。  R0010715 R0010724
R0010727 R0010730 今回の活動を通して、看護師としての枠にとどまらず、人間として成長出来たと思います。
同時に、「看護師の仕事とはいったい何か」、そんな大きな課題を与えられた気もします。
自分の短いキャリアの中で、誰かの役に立てたこと。これは意味のあることだと思います。
看護師として初めて胸を張れた気がします。
貴重な経験をさせていただき、チャンスを与えて下さった皆様に深く感謝いたします。

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